月200時間残業の社畜が辿り着いたのは、シャッフルダンス漬けの日々でした。

社畜だって楽しい人生を送りたい。200時間残業→10時間残業で収入10倍になって、趣味や生きがいに生きるハイブリッド社畜のブログ。シャッフルダンスの話がメイン。たまにアイドルなどの話もします。Youtubeでダンス動画等も公開しています。

Tips.2「自分に自信を与えるための自己表現」

今回は「自分と自己表現」について。

自分について考えたことはあるだろうか。


若いうちの方が良く内面に向かうのだが、

面の皮が厚くなっていくと、自分でも内面が見づらくなるのかもしれない。


・「自己表現」を考える

私たちは「自分」を抱えて普段を過ごしている。

そして、大抵の場合「人との比較」を通して、

「自分」を発見していくことが多いようだ。


それはダンスだろうと、学業だろうと、日々の生活でも変わりはない。

3人いれば、上中下の3段階の評価で。

100人いれば、ある程度の平均値が。


そうして、自分を中心に相手をポジショニングして、

「自分の位置」を決めていく。それが足掛かりとなって、

「自分」を見つけていくのだろう。


また、人によってどういったものを比較対象にするかは異なってくる。


自分より上を見る人、

下を見る人、

横を見る人。


いずれにしても、その距離感から「自分」を発見していく。


ただし、普段からそういった「自分」を探す行為はよく行われるが、

その見つかった「自分」を表現している人は、

思ったより少ないのではと感じている。


少しだけ、自己表現というものについて考えていきたい。

きっと、もっと自分を好きになるヒントになると思う。


・「自己表現」とはどういったものか

この言葉から、どういったイメージが浮かぶだろうか。

「わたしを表す」というと、創作ダンスのようなイメージかもしれない。

筆者としても、割とそんなイメージだ。


結局のところ、「自身から生まれる全てのもの」を指すのであって、

それが何らかの形で外に出てくれば、それは全て自己表現と言える。


普段の会話の言葉の遣い方や、話すときの表情もそうだろうし、

ダンスで言えば、身体の動かし方一つとってもそうなのだ。


全ては「自分の考えで選んで、発した」行為であり、

それら全てが貴方を表現しているし、他人は発したものから貴方を判断する。

ここで大切になってくるのは、自分で選ぶ、または判断した行為」が、

貴方を作り出しているということだ。そこに自覚は問わない。


粗野な言葉遣いを使えば、粗野な人であるという認識を。

時間に遅れる人は、そういう人であるという認識を。

何かが上手ければ、何かに打ち込める人であるという判断を。


発した「結果」は、そこに至るまでの「経緯」を内包している。

そして、人はその「結果」を見ながら判断を下している。


「自分」が人との距離感から生まれる以上、

自分の行ったことは全て、自分に返ってくると考えると良いだろう。

そして、その「自分」から発される全ての事を「自己表現」と呼ぶ。

ただし、その表現の取り扱いについても考えておきたい。


・自分と相手に優しく生きるために

自己表現を行うことは、とても大事なことだ。

表現とは、自分が普段考えていることを外に出すことであり、


それはある種、水槽の水を入れ替える行為に等しい。

精神だって知識だって、新陳代謝が行われ、健常な状態となる。

ずっとため込んでいくと澱んでいくことは、何となくわかると思う。


表現といっても難しく考える必要はなく、その方法は何だって良い。

文章に落としても、ダンスで表現してみても、

イラストを描いてみても、何か造形をしてみても何でもありだ。


ただし、自分で完結しないもの、相手を必要とする場合の表現については、

一つ気を付けておきたいこととして、

「自己表現をどこまで配慮して行うか」を考えておきたい。

そこで登場するのが「アサーション(Assertion)」という単語だ。


これはAssert(強く断言する、言い張る、主張する)という意味の言葉で、

自己主張のバランスを指す用語として用いられることが多い。

日本特有とされる「空気を読む」とは反対の言葉だ。


これには大きく分けて3つのパターンがある。

貴方はどのタイプだろうか。


・ノンアサーティブ

相手を第1に置き、自分の表現を控える。

・アサーティブ

自分を第1に置きつつも、相手の表現も受け入れる

・アグレッシブ

相手を気にせず、自分の表現を第1に優先する


特に、これは普段のやり取りでよく考えるべき話だろう。


自分の考えを相手に押し付けていないか?

逆に、自分の考えを押し殺しすぎてはいないか?


ここで重要なのは「まず自分の意見を認識すること」であり、

そこから「相手の意見を聞き入れる」までの段階だ。

簡単なようでいて難しいこの行動、どれだけ出来ているだろうか。


・「自分」を捉え直す

様々なものとの対照比較により、「自分」が生まれ、

そこから選び抜いて、外に出てきた表現で「人から見た自分」も決まる。


その入り口となるのはやはり「表現」なのだ。


そして、筆者もそうだが日本人は自己表現が苦手なようだ。

「出る杭は打たれる」というように、

少しでも表現をして目立つと、引きずりおろそうとする、

「負の同調圧力」がどこからかやってくる。とてもどうでもいいが。


実際のところ、あくまで自己表現は、

「自身が考え、判断したこと」なのだから、

人がそこに何を言おうと「それはそれ」である。

確実にそんなことを言ってくる時点で「アグレッシブ」な人だ。

正直、筆者はそういう人に近づこうと思わないし、とりあえず引く。


そういう判断も、まずは「自分」を確立することで、

いくらでも自由に行えるようになる。

ベースとなる「自分」のレベルを上げるということは、

こういう所でも、生きやすくするために必要になる。


・様々な所から経験値を得ることの大切さ

そういう理由から、多くの考え方に接する機会を作ることはとても有意義で、

読書などを通じた学習は、その代わりを果たしてくれる。


もちろん、多くの人に出逢って学んだ人も多くの経験値を得ている。

学びは本来楽しいものだ。

だって、レベルが上がれば上がるほどステータスが上がって楽になるし、

新しいスキルだって手に入る。装備できる範囲だって広がるかもしれない。


幸いなことに、今はYouTubeNetflixなどの動画配信サービスや、

電子書籍など、多くの考え方に触れられる機会が揃っている。

色々なところで、多くの考え方に出逢って多くのものを盗んで欲しい。

素直に受け止めて、素直に表現をしていけば、必ず前に進めるはずだ。


2020.1.11 Hachi