page.15 Twitterの特異性 ~Twitter9 from outerspace~
今日はTwitterの持つ特殊性について。
クソリプおじさんの謎が解けるぞ。
きっかけはふとしたTwitterの投稿。
「何で、俺が不愉快になる投稿を上げるんだ」
「気持ち悪いから自撮りを投稿するんじゃない」
という、クソリプおじさんの呟きを見て少し考えてみた。
普段であれば、まぁ好きにすればええやんくらいの感想なのだが、
知人に対して、DMや直接にリプを送っている現状を見て、
「これは、ただの頭のおかしい人ではないのかもしれない」
「もしかしたら、これも何かしらの要因があるのでは?」と、
少し掘り下げて考えてみようと思った次第である。
◎Twitterは人の内側が繋がって出来た世界である
これはあくまで仮説。
Twitter上でやり取りされる情報の多くは、
「通常、外側には現れることのない、価値観や思想、思想」であり、
本来は個々人のパーソナルスペースの更に内側にある情報だろう。
ここでは、パーソナルスペースの内側を「インナースペース(以下インナー)」、
そこでやり取りする情報を「ヒドゥンフォメーション※」と呼びたい。
※あまり公にするものでもない、というレベルの情報を指す。
そのため、本来の物理的な人とのやり取りの中において、
このヒドゥンフォメーションは、人のインナースペースに入って
初めて取得できる情報であり、大前提として、
Twitterの呟きの内容はどうでも良い人に向けてはいない。
考えてみると頷けるのではないだろうか。
そのため、Twitterは
「利用者全体のインナースペースの情報を共有するツール」であり、
人の内面が繋がって、外枠を作り上げているという特異性がそこにある。
◎アウタースペースにおける、「出る杭は打たれる理論」
上記のインナースペースとは反対の、
私たちの現実世界、普通の物理的な人とのやり取り(殴り合いではない)を、
「アウタースペース(以下アウター)」と考えると、
クソリプおじさんの考えも少し見えてくる。
このアウターでは、ヒドゥンフォメーションは、
「公にはするべきではない、個々人内での情報」という取り扱いであり、
何故、そんな情報を開けっぴろげに公開しているのか?
そんなアウターにとっての正論を通しているに過ぎない。
※これが正論なのかは分からないが、前提と行動に筋は通る。
◎インナースペースにおける「人は人、自分は自分理論」
インナーにおけるヒドゥンフォメーションのやり取りは、
趣味や嗜好、思想、価値観の方向性が近い人に向けた、
本来「自分が楽しむ、自分を満たすため」に発信する情報と言える。
そのため、それ以外の人には意味も、意図も、興味すらない。
それがヒドゥンフォメーションの性質なのだろう。
このインナー内での同じ方向性のコミュニケーションであれば、
やり取りは成り立つが、これがインナー、アウターで意見がかち合うと、
最初に述べたような、意見の齟齬が生じるのではないだろうか。
◎インナーとアウターの不可視の境界
とはいえ、Twitterには何も境界線はない。
人と人はTwitterというハコの中、情報の下でフラットな関係性を得る。
一般人とタレント、アイドル、総理大臣や大統領すら同じ枠内に存在する。
その事が、人の情報世界における距離感覚を狂わせている。
良い意味でも、悪い意味でもだ。
そして、距離感の違いはこれまで説明してきた、
インナー、アウター間にも生じており、
人がインナーに向けて発している情報をアウターで受け取ることが起こりうる。
このインナー、アウターの境界線はフラットな世界では見ることが出来ず、
この世界の中では、あくまで人の「想像力」のみが距離感を生み出す。
結局のところ、Twitterであろうと現実世界であろうと、
「人に対しての想像力」が思いやりを生み、
「想像力の欠如」が目も当てられないような暴挙を生み出すのだろう。
さて、その言葉は誰に向けられていますか?
2018.10.01 Hachi