月200時間残業の社畜が辿り着いたのは、シャッフルダンス漬けの日々でした。

社畜だって楽しい人生を送りたい。200時間残業→10時間残業で収入10倍になって、趣味や生きがいに生きるハイブリッド社畜のブログ。シャッフルダンスの話がメイン。たまにアイドルなどの話もします。Youtubeでダンス動画等も公開しています。

page.15 Twitterの特異性 ~Twitter9 from outerspace~

今日はTwitterの持つ特殊性について。

クソリプおじさんの謎が解けるぞ。

 

きっかけはふとしたTwitterの投稿。

「何で、俺が不愉快になる投稿を上げるんだ」

「気持ち悪いから自撮りを投稿するんじゃない」

という、クソリプおじさんの呟きを見て少し考えてみた。

 

普段であれば、まぁ好きにすればええやんくらいの感想なのだが、

知人に対して、DMや直接にリプを送っている現状を見て、

「これは、ただの頭のおかしい人ではないのかもしれない」

「もしかしたら、これも何かしらの要因があるのでは?」と、

少し掘り下げて考えてみようと思った次第である。

 

Twitterは人の内側が繋がって出来た世界である

これはあくまで仮説。

 

Twitter上でやり取りされる情報の多くは、

「通常、外側には現れることのない、価値観や思想、思想」であり、

本来は個々人のパーソナルスペースの更に内側にある情報だろう。

ここでは、パーソナルスペースの内側を「インナースペース(以下インナー)」

そこでやり取りする情報を「ヒドゥンフォメーション※」と呼びたい。

※あまり公にするものでもない、というレベルの情報を指す。

 

そのため、本来の物理的な人とのやり取りの中において、

このヒドゥンフォメーションは、人のインナースペースに入って

初めて取得できる情報であり、大前提として、

Twitterの呟きの内容はどうでも良い人に向けてはいない。

考えてみると頷けるのではないだろうか。

 

そのため、Twitter

「利用者全体のインナースペースの情報を共有するツール」であり、

人の内面が繋がって、外枠を作り上げているという特異性がそこにある。

 

◎アウタースペースにおける、「出る杭は打たれる理論」

上記のインナースペースとは反対の、

私たちの現実世界、普通の物理的な人とのやり取り(殴り合いではない)を、

「アウタースペース(以下アウター)」と考えると、

クソリプおじさんの考えも少し見えてくる。

 

このアウターでは、ヒドゥンフォメーションは、

「公にはするべきではない、個々人内での情報」という取り扱いであり、

何故、そんな情報を開けっぴろげに公開しているのか?

そんなアウターにとっての正論を通しているに過ぎない。

※これが正論なのかは分からないが、前提と行動に筋は通る。

 

◎インナースペースにおける「人は人、自分は自分理論」

インナーにおけるヒドゥンフォメーションのやり取りは、

趣味や嗜好、思想、価値観の方向性が近い人に向けた、

本来「自分が楽しむ、自分を満たすため」に発信する情報と言える。

そのため、それ以外の人には意味も、意図も、興味すらない。

それがヒドゥンフォメーションの性質なのだろう。

 

このインナー内での同じ方向性のコミュニケーションであれば、

やり取りは成り立つが、これがインナー、アウターで意見がかち合うと、

最初に述べたような、意見の齟齬が生じるのではないだろうか。

 

◎インナーとアウターの不可視の境界

とはいえ、Twitterには何も境界線はない。

 

人と人はTwitterというハコの中、情報の下でフラットな関係性を得る。

一般人とタレント、アイドル、総理大臣や大統領すら同じ枠内に存在する。

その事が、人の情報世界における距離感覚を狂わせている。

良い意味でも、悪い意味でもだ。

 

そして、距離感の違いはこれまで説明してきた、

インナー、アウター間にも生じており、

人がインナーに向けて発している情報をアウターで受け取ることが起こりうる。

 

このインナー、アウターの境界線はフラットな世界では見ることが出来ず、

この世界の中では、あくまで人の「想像力」のみが距離感を生み出す。

 

結局のところ、Twitterであろうと現実世界であろうと、

「人に対しての想像力」が思いやりを生み、

「想像力の欠如」が目も当てられないような暴挙を生み出すのだろう。

 

さて、その言葉は誰に向けられていますか?

 

2018.10.01 Hachi